命に関わる症状もある
頭痛の怖いところは、それが本当にただの頭痛なのかどうかわからない点にあります。頭痛自体はたいしたことがなくても、それが命に関わるものではないという保証がないのです。
ただの頭痛だったということは結果論です。結果的に命に関わりのないものであったというだけで、もしかすると命が脅かされる症状であったかもしれないのです。頭痛薬を服用すれば、それはどのような頭痛でも一時的には治るものでしょう。ですが、その症状自体がなにか重大な疾患の一部分であった場合、頭痛薬で痛みを和らげても一時的なものにしかすぎないのです。頭痛薬が必要なほど「痛い」ということは、頭の中でなにかが起こっているのです。
確かに、頭痛を経験しない人はいないでしょう。誰もが一度は頭痛薬を必要とする頭の痛みを経験するでしょう。ですがそれが本当に「ただの頭痛か」ということは誰も考えません。確率的に重大な疾患、命に関わるような症状に関連した頭痛であることが少ないからです。中には吐き気や嘔吐を伴う偏頭痛というようなものもあります。ですが、それらを鑑みても「頭痛は頭痛薬で治る」ものであり、疲れ目や肩こり、風邪などの身近なことから引き起こされる事象のひとつでしかないという実感です。ですから、その頭痛が「いつも感じているような頭痛」であると、誰もが思い込みます。実際は命に関わるかもしれないものであっても、そのように思わないのです。
それが本当に「重大である」とわかるのは、残念なことに実際にそのような状態に陥ってからです。そのような状態に陥った際、その時感じた頭痛が本当に健康を脅かすものであるということが「実感」と共にわかるのです。脳の疾患というものはその後の人生を大きく左右する危険性をはらんでいます。完治した後に後遺症が残ることも多く、ただの「病気」として片付けるのにはあまりにもリスクがあるのです。発達した医療は脳に関連した疾患を治療する術を持っていますが、それによって脳の機能の一部を失った人を再起させる技術はありません。後遺症として身体の一部が動かない、半身不随などのハンデが残ることも多いのです。
自分の身体の中がどうなっているのか、私たちはその「体調」からしか伺うことができません。体調は自分の健康を自分で想像するためのバロメーターです。その体調が優れないということから、私たちは病院で診察を受けたり、投薬治療を行ったりして、体調の回復を図るのです。ですが、それには限界があり、すでに致命的な状態に陥ったものを回復させることはなかなかできません。そのようなことを考えると、「医療」にも限界はあるのです。
ただ、「早く見つけていれば」と悔やまれる局面も多々あることは確かです。病状が軽微であるうちからそれを発見することができていれば、治療も成功したかもしれないということです。医療は常に万全ではなく、医師は万能ではないのです。救える病気があれば、どうしても、どうしようもない病気もあります。その瀬戸際が「経過」である場合、本人が、いかに気がつけたかということにかかってくるでしょう。
頭痛をひとつの「シグナル」として捉えると、その時の自分の体調を推し量ることもできるはずです。ただの頭痛といってすぐに「薬」を飲むのではなく、そのとき「自分に何が起こっているのか」ということをしっかりと考えたいものです。