危険な頭痛のサインとは

頭痛は自覚症状として感じることができるものです。「痛み」というものは私たちの身体のシグナルです。「痛い」という感覚はそれを回避、解決する必要があると、私たちは本能的に知っています。

どこかが傷つき、それに伴う痛みに対して、私たちは「ケガ」や「病気」として判断してそれを修復すべく考えるのです。それが修復されるとやがて痛みは収まり、私たちは「健康を取り戻した」と考えることになります。「痛い」という感覚、痛覚として自覚できることは、ある意味では自分で自分の身体を守る、本能としてその危険な状態を回避するということに繋がっているのです。それは私たちの身体、生き物の身体が「自分の生命を守る」ということに対して本能として活動できるために大切なものなのです。「痛み」を痛みとして理解できるから、身体が危険な状態にあるだとか、「異常だ」ということを自覚、理解できるのです。もし私たちが「痛み」という感覚を持っていなければ、私たちの身体はもっと簡単に傷つき、寿命は遥かに短くなるでしょう。私たちが生きていくことに対して「痛み」は必要な感覚であるのです。痛みがあるから、それを回避する行動があるのです。痛みがあるから、それを解決しようという行動が発生するのです。

もし私たちが「痛み」を感じない身体であれば、もっと活動の自由度は増すことでしょう。その代償として、私たちは「危険なこと」を「危険」と感じなくなっているかもしれません。身体が傷つくこと、欠損することに対する「リスク」を痛みとして感じることができないとなると、「命」に対する基本的なスタンスが違っていたことでしょう。「痛み」はそれほどまでに大切な感覚なのです。私たちが自分の身体を守るための「シグナル」なのです。

その「痛み」の一種である「頭痛」もまた、私たちの身体が私たちに対して発しているシグナルです。身体が異常であると、私たちにその信号を通じて伝えているものなのです。もちろんその「痛み」は私たちにとって不快なものです。それが不快であるからこそ、それらを解決しようと考えることができるのです。

頭痛自体を解決することだけを考えるか、頭痛を通じて自分の身体の異変を感じることができるか、それが問題です。誰もが「健康でありたい」と思うものです。そしてどこか「自分は命の危険を伴うような重大な病気に罹ることなどはない」と、考えるものなのです。ですが、人である限り、生きている限り、生き物である以上は、いつ自分がそのような事態に遭遇するかわからないのです。生きている以上は体調も壊れてしまうものです。生まれてから死ぬまで、何の病気もしないということなどはあり得ません。そして、規模の大小はあるにしても、自分がどのような状態なのか、正常なのか異常なのかを判断するためのシグナルとして「頭痛」がある場合もあります。注意したいのは、その痛みがずっと続いていないか、そして耐えられないほどのものではないか、明らかに経験したことのない痛みではないかどうかということです。そのような痛みが続くようであれば、自分の体調の異変を疑ったほうがいいでしょう。すぐに医師の診断を受けるべきなのです。