人とは共有できない頭痛
「頭が痛い」ということは外見的には何の変化もないため、他の人からは理解され難い問題です。人によっては何もできないほど頭が痛いということもあるでしょうが、それでも外見は衰弱しているわけではなかったりするのです。
「頭が痛いので仕事を休む」、「頭が痛いので仕事を早退する」ということが理解して貰えたらいいのですが、そうはいかない局面もあります。自分が働いているチームが途方もなく忙しいときに自分だけ抜けるということは気が引けるものです。そしてついつい「無理」をしてしまう。それが現代人です。私たちにとって「無理」というものはつきもので、「少しくらいは頑張る」ということが風潮としてあります。「責任」を果たすことが大前提で、その「責任」の「量」はまた別の問題なのです。
どのようなことも「実際にこなせなければ意味がない」ということになります。よくあるハナシでは、「営業マン」の月の「ノルマ」が途方も無い数字になっているということもよくあることです。その「目標」は、会社としてのタテマエということもあるでしょう。実際にはどうやってもクリアすることができない目標があり、それを追い続けることで「ホンネ」の数字はクリリアしていくということも多々あるのです。組織によって正義はそれぞれ違います。企業によって大切にしていることはそれぞれ違います。「自分のペース」が貫ける人は、ある意味「自己管理」ができる人で、それが認められているということは、そのような「自分に合った場」を自分で確保出来たり、「任せてくれたら実績を出す」という裏打ちを持っていたりする人です。
そのようなさまざまに入り組んだ現代では、現代だからこそ「頭痛」が付き物です。頭痛とどう向き合うのかということ、頭痛をどう捉えるのかということが問われているのです。私たちに必要なことは「自己管理」です。明らかに人に心配してもらえるほど憔悴して見せることではなく、「休むときは休む」という割り切りです。明らかにやせ細り、顔色も悪い、歩けなくなるまで、倒れるまで頑張り続けることは一見美徳のように感じられますが、それが大切なわけではないのです。それが正義ではないのです。
なんのために頑張るのかということ、なんのためにせ責任を果たすのかということ、それを自分で理解していることが一番大切です。自分は何のために生きていて、どうして「そこ」で、「その」仕事をしているのか。それを考えることが大切です。会社から一歩でれば「目標」などというものもノルマなどというものも「「関係ない」はずなのです。
自分の身体は自分のモノです。自分が一番大切にするしかないのです。ですから、「人からどう思われるのか」ということなどは関係なく、自分が必要だと思えば休めばいいのではないでしょうか。ただ、それが慢性化すると明らかに「怠けている」ということにもなってしまいます。そのようなイメージが定着してしまうと、「評価」は下がります。「頭痛」は薬で治すことができます。慢性的に続くようであれば医師の診断は必要ですが、突発的な頭痛なのであれば、薬で痛みを和らげて、改めて診断を受けるなども必要です。すべては、バランスなのです。