頭痛の素はなんなのかを考える

そもそもの頭痛のプロセスを考えてみると、それは頭の血管などが膨張し、周囲の神経を圧迫することなどにたどり着きます。ただ、その「膨張しているもの」が血管ではなく、「悪性の腫瘍」などであった場合、その痛みはずっと続くことになります。

頭痛が起こるときには必ずなにかの「原因」があるものです。寝不足、栄養不足、飲酒に伴う頭痛、外部的なケガによる頭痛などです。明らかに「体調の異変」としてその頭痛は存在しているわけです。普段の生活で「頭痛」というものはかなりの頻度で遭遇する身体の異常です。たかが頭痛くらいで仕事を休むわけにもいかないですし、たかが頭痛くらいで自分の時間を奪われたくないものです。ただ、その頭痛が放置していいものなのか、それとも身体からの危険信号なのかがわからない、これが問題なのです。

例えばなにかの医療にかかる際には基本的に「問診」からはじまります。自覚症状として、それまでどうだったのかということを質問されるところからはじまることがすべてです。それらの問診に対して、どれだけ正確に応えることができるのかということも考えたいものです。実は本当の意味で「健康である人」というのは「自分の身体の状態」を自分でよくわかっているものです。自分は今調子が良いとか、今日は体調が良くないと、常に意識できている人こそが、「健康」という状態を保っていられるのです。そのようなことを考えると、自分の体調の記録、それは「自分が見た自分」に対しての記録をとっておくことは大切なことであり、いざ「医療に助けを請う」ときに有効な手段であるといえるでしょう。

頭痛があまりにも頻発するようであれば、まずは様子を見ると共に「いつからそうなのか」、そして「どのような時に頭痛が起こるのか」ということを記録しておくことも有効でしょう。問診を通じて、医師の経験と蓄積された医療技術によって、その頭痛が何のシグナルなのか、その頭痛はどのような身体の状態を表しているのか、推測することもできるのです。それを推測することにより、数多くある可能性から症状を絞り込むことも可能で、絞り込むことでより迅速な診察、クリティカルな原因究明、クリティカルな治療につながるのです。それが重大な疾患であった場合、いち早くそれらの状態にたどり着くことで、命を守ることになったり、早期の解決につながったりするのです。

医師は自分のものではない「人の身体」を診察するのです。そのときに「キー」になるのは自覚症状と、それまでの経緯です。それらはその症状を紐解くための大切な情報であり、手がかりです。それらを医師に提供するためにも、正確な診断をしてもらうためにも、「それまで」のこと、普段の生活のこと、自分自身の身体のことをもっと大切に考えることは重要なのではないでしょうか。それを続けることで、自分で自分のバイオリズムを判断できたり、「何をもって調子が良いのか」ということを判断できたり、自分で自分の体調に関して気にかけることができるのです。

健康診断を受けることも大切ですが、それはせいぜい年に一度です。日頃から自分の体調に関して関心を持つだけでも、少しは違ってくるものです。