生活習慣病といっても良い頭痛

私たちは日頃から「目」を酷使します。「目」と「耳」は、五感の中でもとても重要な役割を果たしています。ただ周囲の状況を押し図るだけではなく、「情報」のインプット元でもあるからです。

私たちは「目」で見て「耳」で聞いて、世界を認識します。それに肌で感じる空気や、香りで感じ空気などが加わり、食事をする時に感じる「味覚」も加わって五感と呼んでいます。それらはそれぞれの器官が捉えた情報を神経、脳が処理してそのように感じているのです。「見える」ということは「目」だけが、それ単体が機能しているということではないのです。全身で感じている情報のすべては脳が処理していることです。全身をセンサーとして感じているすべてのことは、頭が理解してはじめて成立するものなのです。

私たちの身体を統率する中枢、私たちが考えたり夢想したりするすべての思考の中枢、それが「頭」です。頭は私たちにとって「そのもの」であるといえるものです。私たちにとっての「脳」は、それらが存在しているということを意識させないようなものです。それらが存在しているということがわからないほど、脳は私たちに自然な感覚を与えます。「自分」というものを意識させます。「頭痛」は、その「頭」が何らかのシグナルを私たち自身に伝えてくれているということになります。

特に最近では、パソコン、携帯電話、スマートフォンを酷使することが当たり前になっています。仕事でもプライベートでも、「画面」を見て「判断」し、何らかの捜査をするということが当たり前になっているのです。それは「視覚」に重点を置いたものです。画面上に展開される情報に対して思考を巡らせたり、操作をしたりすることが日常になっているのです。私たちはそれらが日常であるのであまり意識していないのですが、それはとても「頭に負担」になることなのです。

だから慢性的に頭痛が起きるのです。仕事上でも、なんでも、私たちにとって「画面」に向かうことは日常です。画面の表示に対して指先で操作を行う。これはここ十数年で一般化した人類にとってはまだまだ「新しい」行動です。それに対して、人によっては「頭痛」というカタチで拒否反応が起こる場合もあります。また、「絶対に必要なこと」で続けなければいけないにも関わらず、いまだに「疲れ」というものを感じることになります。もちろんいくつかのポイントはあります。なるべく画面から目を離すということや、現在では少し話題になった「ブルーライト」を遮断するなどの方法もとることなど、いくつかの対策があります。

それでも完全にそれらの機器操作による頭痛を遮断することはできていません。私たちか働き続ける限り、画面上から情報を得続ける限り、それに伴う頭痛からは解放されないでしょう。あるいは、私たちに情報を提供する「画面」が進化してくれない限りは難しいでしょう。私たちの頭痛は、自分たちの「進歩」が招いたことでもあります。私たち自身が、私たち自身の「頭」を痛めつけるような仕組みを作ってしまっているのです。それらと今後もうまく付き合っていく必要があります。私たちの頭痛はもはや、生活習慣病なのです。それらを克服するためには、新しい技術が必要になるでしょう。