頭痛とストレス
人間は高度な生き物です。「考える」ことを知っていて、「感情」も持ちあわせています。言葉によってコミュニケーションをとることができ、自分が発見したことや考えたことなどを「他の人」と共有することもできるのです。
そのような私たちは「賢い」ゆえに陥りやすいことがあります。それは「悩む」ということです。私たちはさまざまなことで悩みます。それは自分だけにしかわからない悩みであったり、人と共有できる悩みであったりします。「悩み」というものは「簡単に考える」だけでは解決しないことです。考えれば解決すること、また答えが簡単に見えていて、どうにでもなることに対しては、私たちは悩むことはないのです。
私たちが悩むとき、それは簡単には解決できなかったり、どうしようもない状況に陥ったりというとき、責任を果たす必要があるのにどうしてもクリアできない課題があるなど、そのようなときです。そのようなことに対しても挑まなくてはいけないのが現代人です。例えば、家族を養うためのお金が必要なのに、給料は下がる一方であったり、突然職がなくなってしまったり、生きていればさまざまな困難が起こるものです。そのようなことがあっても、家族を放り出すわけにはいきませんし、働かないわけにはいきません。どのようなことがあっても、何があっても、守りぬかなければいけないことはたくさんあるのです。
そのような状況が続くと、確実にストレスになります。私たちは常に何かのストレスを抱えているものです。ストレスは私たちにとって避けることのできないもので、それらを如何に解消するか、どのようにして自分の精神を健全に保つかということも考えなければいけないのです。ですが、どれだけ前向きに考えても、どれだけ好きな事を続けても、解消できるストレスの量と新しく発生するストレスの量が見合わなければ、その精神的な負担は身体に対して「悪影響」を及ぼすことになります。
その一端としての「頭痛」もあります。「緊張性」の頭痛です。私たちは頭で考え、頭で理解し、頭で喜び、頭で感じます。その「頭」が痛くなるほどのストレスを抱えているのは、生活に支障をきたすほどの精神的負担です。精神を健全に保つことは「健康」にも直結することです。ストレスを抱えたまま、精神が淀んだまま、落ち込んだままでは、人は本来のパフォーマンスを発揮することはできないのです。
そのような私たちにとって、「ストレス」をさらに増大させてしまう頭痛は大敵です。ただ、頭痛がするほどのストレスなのであれば、その根本を断つ必要は必ずあります。人はだれでも「完璧」ではないですし、さまざまな状況を乗り越えて生きていく必要があります。ですが、それには「精神力」と実際に行動するための「健全な肉体」が必要です。ストレスによってボロボロになってしまった身体では、乗り越えられるものも乗り越えられません。
そのようなことを考えると、私たちはさまざまなことに対して柔軟に向き合えるよう、「自分を整える」ことが必要です。それもある意味、自分をコントロールするための「生きていくチカラ」です。体調を顧みずただガムシャラに突き進むのはあまり良くありません。